翠の季節に迎えられ


“紫陽花なないろ”



    2




九州や西の方では連日シャレにならないほどの雨だそうで。
それを思えば、まだこちらは、
時々不安定な日ともなれば、
ザッと強い音を立てるのへハッとし、
意識をひかれるほどの雨脚にもなるけれど。
ちょっとしたお出掛けくらいなら
傘も要らないんじゃないかと思えるような日も多い。
今日も すかっとというほど晴れてこそないが、
傘の用心は要るまいと、トートバッグもほぼ空のまま、
いつもの日課のお買い物へと出かけた最聖の二人であり。
行きつけのスーパーで
今日のお買い得やら要りような食材やらを見て回り、
何という出来事も拾わぬまま、じゃあ帰ろうかと帰途につき。
もうすっかりと顔なじみとなった人たちだからこそ
傍から見る分には何の違和感もないままに、
ちょっと蒸すから上着までは要らないかな、そうだねと、
当たり障りのない会話を交えつつ、
辿り着いたは愛しの我が家。

“……。”

どれもこれも変わり映えのしない日課であり、
だがだが、確かに他愛ないことでありながら、
だっていうのに
知らず顔を見合わせると、そのままついつい微笑い合ってしまうよな、
何とも言えない暖かい感触が嬉しくてたまらない。
そんな得難い幸いに満ちてもいたのにね。

「えっと、まだ4つ残ってたのか。」

フラットへ上がると、
ブッダはトートバッグを肩から下ろす。
板の間に屈みこみ、
かかとを立てての膝立ちという格好で、
卵や牛乳、野菜などを冷蔵庫へ収める手際も手慣れたもの。
使い勝手を考えて、中をちょいちょいと整理して、さて。
小松菜はざっと洗っておこうかなということか、
なめらかな動作で立ち上がると、
流しの脇、小さな調理スペースへ
一束の青々とした菜っ葉をぱさんと置いたその時だ。

 「…ブッダ。」

ちょっと遠慮気味なのか低めの、
だが、聞き漏らしはしなかろう良いお声が、
自分へと掛けられたのへ気がついて。

 「? 何だい、イ…」

イエスと、相手の名前を続けかけたが、
それが途中で立ち消えたのは、
思っていたよりも間近に相手がいたからで。
てっきり、とうに六畳間の方へ進み入ってたと思っていたものが、
自分のすぐ真後ろに立っていた彼は、
悪戯や何かを思いついて
ブッダを驚かそうとしたわけではないようで。
思いつめてでもいるかのような真摯な表情を見る限り、
どれほどのことかは不明ながら、
真剣な思いつめを胸に、
意を決して声を掛けて来たという感があり。

 「……。」

ああ、真剣な顔には弱いなぁ。
彫が深くて冴えた面差しが、いつになくきりりと引き締まって。
そのくせ、棘々しくなるのではなく、
切れ長な目許に憂いの紗をかけたようになって、どこか寂しげになってしまうのが、
釈迦牟尼様には
それだけで胸の深いところを柔く摘まんでつねられるようで
どうにも落ち着けない。
そんな真顔のまま、ちょっぴり身を傾けたイエスだったため、
ますますと間隙を狭められたが、
かつてほど狼狽えるブッダでもなく。

「あ…。//////」

多少は…あのその、恥ずかしさのあまり身が強張りかかったけれど、
怯むように首や肩をすくめるということはなく。
背後の流しへ背中を預けるようになりつつ、
ついつい背条が伸びてしまったのも、
近くなったイエスの目許がやや高くなったのを追ったせい。
背後の台の上で、まな板がずれでもしたか、
ステンレスを鳴らして がたんという結構大きな音がしたが、
それにしたって飛び上がるほどびっくりもせず。
何だろどうしたんだろと、向かい合ったまま相手の意を酌もうとしておれば、

 「…いぃい?」

耳打ちするよな小さな声で、そうと訊いてきた彼であり。
ああ、相変わらずやさしいなぁ、
無理強いはしないっていつだって心がけててくれて。
外出から帰ってきたばかり、
しかもまだ明るいうちという微妙な唐突さは
ちょっと大胆が過ぎて意外でもあったが。
強引でない辺りはいつものイエスだったので、
拒む理由もなしと、こちらからも相手の背へと手を回す。
イエスからはこちらの二の腕越しに長い腕がするりと回され、
それはやさしく上体を包み込んでくれて。
間近になってた懐ろにくるみ込まれ、
頬がぱふりと相手の胸元に触れて。
やわらかであたたかな温みと匂いを意識すると、
互いが着ているもの越しながら、
それでもこれ以上はないほど接した実感に、
顔がかあっと熱くなってゆくのがありありと判るのが、
ともすれば恥ずかしい。
十代かそこらの子供のようではあるけれど、
まだ慣れが薄いのだ、しょうがないじゃないかと
誰へともなく言い訳をしてみたり。

“あ…。///////”

シャツ越しのやや堅い胸板の感触に、ドキドキしつつも高揚してしまう。
冠からのそれかバラの匂いとそれから、
体温になじんだオレンジの香りもかすかに届いて。
相変わらず積極的だなぁなんて、
てっきり…唐突に甘えたくなってしまったイエスなのだと思い込み、
その頑是ないところへ、こちらからもちゃっかり便乗して
愛しいお人の温もりをしみじみと堪能しておれば、


 「…もしかして我に返っちゃった?」


そんな一言が放たれて。

 「え?」

空耳かと思えたのは、
随分と単調で冷静な声だったから。
こうまで密接に、
大切な人としてお互いを抱きしめ合っているのに、
それをなぞってのものとは到底思えない
つれない冷やかさを帯びていたように聞こえもし。
そんなまさかと
イエスの側の心持ちはそうまで違うのかと、
表情が固まったままになっておれば、

 「こんなことやっぱりいけないと我に返ってしまって、でも、
  私にどう切り出したらいいか、判らなくて困ってた?」

 「ちょっ…何言ってるの、イエス?」

ますますととんでもないことを連ねる彼で。
唖然として見上げれば、
さっきまでの真顔にかすかに感情が滲んでいたが、
それは寂しげで悲しげで、到底、甘い種類の代物ではなく。

 「それとも、イエスってやっぱ子供だなぁって気が付いて、
  相手になるのが苦痛になっちゃったとか…」

 「イエス?!」

一体何を根拠にそんな言いようを紡ぎ始めた彼なのかと。
呆気にとられていたのも刹那のこと、
はっとしたブッダが
思わず自身の胸元へ
柔らかな輪郭をした白い手を伏せたのを見やり、
玻璃色の双眸を哀しそうに眇めたヨシュア様だった。






BACK/NEXT


 *まとまった時間をとって
  集中して書きたいのに、
  なかなかそうもいかないため、
  じりじりした進行ですいません。


ご感想はこちらへvvめーるふぉーむvv

bbs ですvv 掲示板&拍手レス


戻る